47歳の独女が、迷走の日々を綴っています。

絵本「ピカドン」との出会い~戦争とのファーストコンタクト~

本・テレビ・食 レビュー
Bruno /GermanyによるPixabayからの画像
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おはようございます。
今日も東京は急に雨脚が強まり風もびゅうと吹くような荒れたお天気です。
安定の「休日は予定ナシ子」なので、問題ナッシングです。


ところで、今年は広島・長崎に原爆が投下されてから76年目、今日は長崎に原爆が投下された日で、長崎では記念式典がありますね。

あいにくのお天気のようですが、滞りなく開催されますように。

さて表題のお話です。
絵本のレビューですが、今回は当時(小学生当時)を振り返って書いてみたいと思います。

ハイ子がまだ小学校低学年ぐらいの頃の出来事です。

当時、同級生同士の噂で、近所の〇〇図書館に「超怖い本がある」というものがありました。

ハイ子は心霊とか妖怪とかそっち系に興味のある子どもだったので、「超怖い」のフレーズにとても惹かれました。

これは一回見に行って確かめなければならないな。

しかし1人で行くのはまだ低学年だし、ちょっと怖い。

当時存命だった同居の祖父とは、その○○図書館には良く行っていたのですが、ただなんとなく「超怖い本」を見たいというのは言えずにいました。

なぜかというと、ハイ子の家のトイレは家の端っこにあり、夜に1人でいくのは特に勇気がいりました。

母が台所仕事終えてしまうと、暗い台所+暗い廊下という「なんか怖い場所セット」を通らねばならなかったのです。

そんなわけで、手あたり次第に大人をトイレに同伴させようとし、その時には必ず「ほら、いつも怖いお化けの本とかテレビとか見てるから、こういうことになる!もう見ちゃダメ!」と釘を刺されていたからです。

そういった事情から、大人のおじいちゃんにはお願いできない。

そもそもおじいちゃんと行ったところでその「超怖い本」がどこにあって、どんな題名なのかわかりません。

ということで、その情報を仕入れた、それほど仲良しでもない同級生と連れ立って、目的の図書館へと行った記憶があります。

そんなに仲良しでもないので、本当にピンポイントで「超怖い本」を見て帰るというだけの約束でした。

約束当日、学校が終わってからだったので、15時頃だったでしょうか。

ハイコの家の前で待ち合せをして、いざ!という感じで図書館に向かいました。

どうやらその怖い本は「絵本」らしく絵本コーナーにあるとのこと。

図書館に着くと真っ先に絵本コーナーに向かいました。

すると探すまでもなく、すでに先客の子供数人がその絵本を囲んでなにやら「わーきゃー」いっています。

「気持ち悪い」だの「怖い」だの。
これは間違いない、あの「超怖い本」だ!

引っ込み思案なハイ子と友達は、その様子を遠巻きに見て、とにかく彼らが飽きるのをじっと待ちました。

案外早く彼らはその本を棚に戻すと、それだけが目的だったのか去っていきました。

ハイ子たちは戻された本を手にすると、寝転がれるスペースに移動しました。

本の題名は【ピカドン】でした。

そう、原爆投下の人々の様子が描かれた本です。

2人でおそるおそるページをめくります。

本当に絵が中心で、文字はほとんどありません。

ピカっと光って、ドーンとなって、人がどんどん焼け

ただれて飛ばされて傷ついていく…そんな絵が描かれた絵本です。

ハイ子は、体中の血が逆流するような、とてつもない恐怖を感じました。

そして、面白半分に見たことを後悔しました。

しかし…今ネットで検索すると記憶にある内容と合致している本がないのです。

あまりの衝撃にハイ子の頭の中で多少記憶違いを起こしているのかもしれません。

とりあえず、読み終えたハイ子と友達は図書館を後にしました。

そしてその友達ともなんとなくそれきり、お互いちょっと後ろめたいことをした感があって、学校外で遊ぶということはありませんでした。

さて、その当時はそれが実際にあった話というのは知りませんでした。

そしてあまりの恐怖に、もちろん大人には話せません。

またしばらく1人でトイレに行けなくなりました。

そもそもどんなコンセプトで描かれたものなのか、さっぱりわかりませんでした。

絵本であるからには、子供が読むためのものであり、むやみやたらに興味本位で子供を怖がらせるのは良くないんじゃないかとさえ思いました。

ただ、なんとなく出てくる人も妖怪ではなく普通の人間だし、どうもテレビで見るような心霊特集とは毛色が違うということは感じていました。

あんなことが自分の身に起こったらどうしよう、家どころか街ごと吹っ飛ぶようなことがあったら、どこに逃げればいいんだろう。とりあえず地下に穴を掘るしかないのか。

や、学校の帰り道突然起こったらどうしよう。もう為す術がない。

とにかくしばらくはそんなことばかり考えて生活していた記憶があります。

その後、小学校の中学年になって、あの【ピカドン】が実際にあった話で、原爆によるものだったということを知るのです。

確か図書館のおはなし会だったと思います。

ハイ子の幼いころはまだ戦後40年足らず、終戦記念日前後には特に頻繁に戦争をテーマにしたおはなし会があった気がします。

おはなし会で原爆を知り、「そうか…日本は平和になったから、もうあんなことはもう起こらないんだな」とほっとしたのを覚えています。

あまりに衝撃的な戦争との出会いでした。

が、それに懲りることなく、母方の祖父がビルマ帰還兵だったこともあり、以降も戦争をテーマにたドキュメントや特集番組なども率先してみてきました。

戦争との出会いは衝撃的でしたが、そもそも戦争はそういうものです。

子供には順序を踏んで説明しないと、トラウマになってしまうかもしれませんが、とにかく右も左もわからない子供すら巻き込まれていしまうのが戦争です。

子供は戦争にはいかないけれど、大人がいないと子供は生きていけません。

想像すればたやすいことです。

平和ボケと言われようと、そのどこが悪いんだと、ボケといわれるまで平和が続いている日本を誇りに思いたいです。


今、記念式典をテレビを通して拝見していますが、長崎はお天気よさそうですね。

あの日も天気が良かったので、視界の悪かった小倉から長崎に投下目標が変更になったとのこと。

もし長崎も天気が悪かったら…。

しかし、平和にも戦争にもif(もしも)は無いのです。

意識して維持しようとしなければ、平和も続かないし、戦争もなくならないのです。

そうハイ子は思います。

そして原爆は、特に被ばく者への偏見などもあり、なかなか自身の体験を語らない方もいると聞きます。

それがここ数年で被爆者であることや、その体験を語る人も出てきています。

今日の式典で被爆者代表を務められた岡信子さんも、夫や子供にも話さなかった被爆体験を語り始めたということです。

もしかしたらハイ子が幼い時よりも、さらに多くの貴重な話がきけるかもしれません。

毛色は違いますが、当時の上官に気を遣って悲惨な戦争体験を語らなかった人も、上官が亡くなったことで語りはじめるということもあるようです。

語ること、知ることはとても大事です。

当時何があったのか聞いて想像することをこれからも続けていこうと思います。

なんだか小学生の感想文みたいになってしまいましたが「三つ子の魂百まで」
あの絵本との出会いは、今となっては良いきっかけだったと思います。

おしまい

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