47歳の独女が、迷走の日々を綴っています。

アラフィフ独女のレビュー「ザ・ノンフィクション 彼女が旅に出る理由~すれ違う母と娘の行方~」

本・テレビ・食 レビュー
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どうも、ハイ子です。

今日は久しぶりに「ザ・ノンフィクション」のレビューを書きたいとおもいます。

本日の放送はこちらでした。(クリックすると放送回のページに飛びます☟☟☟)

ザ・ノンフィクション - フジテレビ
ザ・ノンフィクション - 番組情報。今、日本の「近代」が溶け始めています。ザ・ノンフィクションは、ディープにそしてアクチュアルに測鉛を降ろします。



ちょっと脇道にそれますが、番組冒頭で、ハイ子がこの「ザ・ノンフィクション」に対して抱いていた素朴な疑問が解消されました。

「ザ・ノンフィクション」の取材対象は、どうやって見つけてくるの?というもの。

明らかに一般人だけれど、どこで取材ネタを発掘しているでしょうか。

今回の取材先である母娘は、番組スタッフが自然派カフェの取材中、そのカフェで母娘喧嘩をしている二人を発見し、声を掛けたところから始まりました。

番組冒頭では、母娘喧嘩の様子がそのまま放送されていました。

この番組のすべてがそうではないのでしょうが、どこにネタが落ちているのかわからないものですね。

さて、本題です。

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あらすじ

番組の主人公は、ミサト(28歳)と、その母(60歳)。

ミサトは、車できままな放浪の旅をしており、その合間に母と落ち合ってカフェにやってきたようです。

目的の無い、当てのない旅をすることで「生きてて良かった」と実感する娘のミサト。

そんなミサトの価値観を理解できない母親。

ミサトは、軽のバンで旅を続けており、この母娘に取材スタッフが出会ったのは、ミサトが旅を始めて3か月目。

ミサトは、旅を27歳で始めた。

車の放浪旅は、どこへ行くのも気の向くまま。


取材当時は、ミサトが旅を始めたことで、母娘の感覚に隔たりが生まれてしまっていたものの、昔の母娘関係はずいぶん違ったようだ。

どんなときもミサトの味方でいてくれた母。

ミサト曰く「自分自身、小さいころから不思議な子だと言われたり、KYと言われたり、それでも中学に上がってから、周りに合わせようとしたが、つまらない。」

ミサトは、21歳で有名老舗ホテルに就職したが、2年で退職。

その後も3社を転々とするも、結局無職となった。

そんな過去に対してもミサトは「お金がなるべくかからない生活をしたい、もちろんお金がなくなれば働く。」と答える。

そして、ミサトはこうも思っていた。

「お金とは違う幸せを見つけた、心の豊かさを見つけた。働くことが悪ではなく、やりたいこともできないのに働き続ける意味が分からない…。」と。

その気持ちを知ってか知らずか、ミサトの母は「(私の心配は)要らぬ心配なんでしょうけど…ここにいるよっていうことぐらいは連絡しなさい。」と再びミサトを諭す。

結局、母はそんなミサトに対し、お金の支援をしてあげているという…。

母親曰く「(ミサトは)子供の頃は自信ない子で、いろいろと苦労してきて、東京の労働環境もかなり厳しかったようで…そういう意味で、(今の車での旅に出たのは)何かふっきっれてしまったのかもしれません…。」

ミサトを心配する一方で、近所の目を気にして、一次帰宅した娘を家から出させない母。

そして、かなり矛盾した行為かもしれないけれど、それでも母親は「ガソリン代の足しにして」とミサトにお金と商品券を渡す。

半年ぶり、一泊二日のミサトの帰郷はそんな感じだった。

スタッフがその様子を見てわかったのは、この母と娘の関係が「どれほどこじれているか」ということだった。

帰郷を終えて、ミサトが向かったのは熊本県にある「三角エコビレッジ サイハテ」

ここの合言葉は「お好きにどうぞ」だそうだ。(サイハテ公式HP☟☟☟)

https://village.saihate.com/


ミサトは無職になった頃、一か月ほど、ここでボランティアスタッフをしていた。

ここでの生活を経て、旅に出ることを決意し、そこから価値観が一変した。

仲間が、水タバコのバーを開店するときけば、ミサトはその手伝いに駆けつける。

その店で、気の合う仲間ととある動画を見た。

それは、世界を変えた『スティーブ・ジョブズ』の言葉。

「誰かの人生を生きている時間なんてない、あなたはあなたの人生を生きるべきだ。」

それを見て、涙するミサト。

ミサトは言う。

「今まで飼いならされてきた『社会』それに気づいたんですよ。

でも、所持金が5万を切っているので、仕事を探さないとな。」

と、現実とも向き合うミサト。


そして、再び「三角エコビレッジ サイハテ」に滞在する中で、迷わず流されず、自分は自分の人生を生きると悟ったかと思えば、まだまだ五里霧中。

旅を始めて7か月、大阪の西成を訪れ、ジャズシンガーの坂田佳子さんに会いに行った。

坂田佳子さんも、かつては高級ジャズクラブで働く人気ジャズシンガーだったが、アルコール中毒で全てを失った。

しかし、「落ちたからこそ見える世界もある。とことん落ちれば、あとは上がるだけ。」

坂田さんから力強い言葉をもらい、その出会いから、ミサトの様子が違う意味で一変する。

旅に出てはじめての冬を迎える頃、ミサトは明らかに変わっていた。

この日は寒さに備え、冬服を探しに来たのだが…試着したものはすべて返却、600円のマスク一枚だった。

何故なら、切り崩していた会社員時代の貯金が底をつきかけていた。

バナナとナッツを一日一食。

冬の車での旅、エンジンをかけられない駐車場では、エアコンをつけられず、0度近くまで気温が下がった。

そんな窮状を知ってか知らずか、母からはこんなLINEが。

「人生は短いようでそうでないような…(略)せめてもっと食べたいものを遠慮なく食べられますように。」

それに対しミサトは「そうだね~」と返したはずなのに…。

渋谷でレイブパーティーがあるというの聞いて、これまでなるべく手を出さないようにしていたクレジットカードに手を出し、お金を準備して駆けつけたミサト。

クレジットカードに手を出してまで参加した路上パーティーは、取り締まりの警察の登場で三々五々撤収してしまった。

そんなことがあったあと、ミサトからLINEがスタッフ宛にくる。

「私も今なら、一般社会人楽しめそうだな。今度は派遣とかで働きたいな。ドレッドを切ってキラキラ女子の皮をかぶったヒッピーもおもしろいかもしれない。
(中略)
一年旅を続けて、無一文になって、天から地へとおちて、それなりにしんどかったなと…。」

ミサトが車での旅を始めてちょうど一年、立ち寄ったのは、あのお母さんがいる実家だった。

旅に出て一年、この日ミサトが母に届けたのは、母の日のプレゼントとして用意した「お皿」だった。

その額、700円。

…と、ここまでは良かったのだが…。

続いて、ミサトが母にスマホの画面を見せ、説明しはじめたのが大分県のとある古民家のこと。

ミサトはそこに定住するつもりらしい。

そんな話をきいて、母は心配で仕方ない。

母いわく「入居時に鍵をかえたり、扉が壊れているとか…防犯上大丈夫なのかと、心配しかしない。」

そんな母に対し、ミサトがぶつけたセリフ。

「自分の人生を生きていないから、他人に干渉したくなるんだよ。お母さんをみているから、私はこういうふうになったんだよ。仕送りとかで、つながりを求めるみたいな…、私はそんな負の連鎖を断ち切りたい。」

これに対し、母親は「余計に(お金が)あって、(援助を)やっているわけじゃないし、断ち切る。」

と。

ミサトはさらに言葉を続ける。

「子供を信じる力が無い。」

母はその決定的な言葉に「やっぱり明らかに価値観が違いすぎるんだよね…。」と、涙声になる。

黙るミサト。

それでもお母さんは、出ていく娘に梅と昆布とおかかのお結びをにぎって渡した。

ミサトが見つけた定住先は、大分県、中津市の中古の戸建てだった。

築60年。

自分で修理することを条件に貸主が5,000円で貸してくれた。

念願だった(?)田舎での定住。

そして安定収入を求めて、ネギ農家で働くことになった。

ミサト曰く「お金がないと本当に何もできないし、健康で文化的な生活はできない。」

農家の仕事も得られ、住まいから車で一時間以上かかる職場だったこともあり、雇い主さんが格安で寮を貸してくれた。

昼はまかないつき。

寮費をはらっても、月に10万は残る。

何よりうれしいのは取れたての野菜で作ってくれる体に良い食事。

「旅」とはまさに出会いの連続。

そんな職場の同僚にも人生の強者(年配の男性)はおり、ミサトのスタンスに疑問を投げかける。

自分の夢が、屋外に天然のサウナをつくって、仲間にお披露目するこだとその男性に告げるミサト。

それに対し、男性は「なんでお金が欲しいの?何がしたいの?サウナつくりたいなら、つくればいいじゃん、仲間?呼ぶ?そんなの自己満足じゃないの?」
と…。

その言葉に「確信をついてて、その通りだなとおもって」と涙するミサト。

スタッフはそんなミサトの日々を、離れて暮らす実家の母に伝えた。

母は、開口一番「今、あの人苦しんでいるんじゃないかな…。」と。

一方のミサトは「一番大切にしなきゃいけない人を大切にできていないので、そういう気持ちはあるので…。」

おそらくこれは母を想定してのセリフだろうか…。

最後はスタッフのセリフで〆る。

『はじめて彼女と出会ってから1年3か月、こんなに成長できるなら、旅も悪くないなと…。』

しかし、最後のナレーションで、どんでん返し。

(というか、予想通り)

ミサトは体調を崩して、ネギ農家を辞めてしまったそうだ→おしまい。

感想

こちらの番組を、ハイ子は同居する母と二人で観ました。

テレビを見ながら、ノートパソコンにあらすじを打ち込み、母(ハイ子母)のセリフにも耳を傾けていたので、あらすじの部分は、エピソードの前後や細かいセリフなど、かなり適当な部分もあります。ご容赦ください…。(言い訳)


ミサトさんが28歳で、ミサトさんの母が60歳、親子の歳の差32歳です。

一方のハイ子、現在46歳で母が74歳なので、親子の歳の差31歳です。

世代は異なりますが、ミサトさん母娘と、なんとなく同じ道をたどってきたような部分もあり、勝手にシンパシーを感じました。

そして、ハイ子46歳ともなると、子供を心配する親の気持ちもわかるし、とはいえ過干渉すぎるミサトさんのお母さんにも若干の面倒臭さを覚えてしまいました。

いっぽうのハイ子母は「まだ親も若いからこんなこと言っていられるけれど、明日死ぬかもしれないし、こういうタイプの娘は、親が死んでから絶対後悔するね…」と、言っていました。

どんなに孝行を尽くしても、親の死を後悔しない子はいないんじゃないか?とハイ子は思うのですが(じゃあ、もっと親孝行しなさい)、たしかにミサトさん、ちょっとわがまますぎるかな…とも思いました。

これが18歳ならまだわかるのです。

頑張れよ!と、背中を押したくなるのですが、もう28歳なので、そろそろ自立してもいいのではないか…と。(おまえもな)

そして、お母さんも過干渉過ぎます。

あらすじには書けなかったのですが、お母さんがミサトさんの携帯代を払ってあげるというエピソードもありました。

これには、ちょっと引きました。

このお母さんの場合「携帯代を払ってあげているんだから、連絡くらいよこしなさい」と言いたいだけなのかもしれません。

ミサトさんもそれがわかっていて、断ち切れないのかもしれないです。

結局は「持ちつ持たれつ」の関係なのです。

この親子の打開策としては、お母さんがミサトさんの好きなようにやらせてあげて、援助を一切しない事です。

口出しをしたいから、援助をしてしまう、金銭的な援助してもらうことはミサトさんも助かるし、それが唯一の親子関係を保つ術なので、無碍にできない気持ちもあるのではないでしょうか?

そして、全編を通して「母親」が暗いんですよ。

底抜けに暗いのです。

申し訳ないけれど、後半、大分に定住を始めたミサトさんの様子を、スタッフがお母さんに報告しに行った際「今、あの人(ミサトさん)苦労してるんじゃないかな…」とつぶやくのです。

このセリフ、ハイ子には「呪いの言葉」にしか聞こえませんでした。

そして、まんまとミサトさんは体を壊して、ネギ農家での仕事を辞めてしまうのです。

これで、このお母さんは「それ見たことか!」と思うのでしょうか…。

いっそのこと「私が関わると、あなたは不幸になるから、明るく楽しく自立して生きていってください」と送り出すぐらいの心意気が必要なのではないかと思いました。

東京での生活が大変だったのではなく、このお母さんとの生活があまりにも辛気臭くて、後ろ向き過ぎて、希望を持てなくて、その反動で違う世界に己の生きる道を見出そうとした結果が「車での旅」だったのかもしれません。

一番近くの存在である、親や子に対し「互いに尊重しあい、認めてもらいたい」と思うのは当然の欲求なのですが、ここまで相いれないと、いったんは諦めたほうが良いと思うのです。

どうにもならない仕方ないこととして、もう少しあっけらかんと手放してしまえば楽になるのにな…と思いました。

とはいえ、ハイ子もそこまでの境地に達していないため、諸々母娘関係では悩むことは今もあります。

46にしてもそう思うので、28歳のミサトさんにはまだまだ「いばらの道」が待っている気がしてなりません。

ただ生きていれば、一度関係が壊れてしまっても、修復することもできるだろうし、そもそも修復にこだわらなくなるかもしれないし…なんとでもなると思います。

あと20年は互いに生きているだろうと信じ、目の前にあるしがらみには目をつぶって、「自分の人生」を生きてもらいたいな…と思いました。

と、実家暮らし無職のおばさんが思うことは、以上です。

おしまい

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