48歳の独女が、迷走の日々を綴っています。

アラフィフ独女…どん底の時に手に取った、森崎和江著「まっくら」を読んで感じた「人は人、自分は自分」

本・テレビ・食 レビュー
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どうも、ハイ子です。

昨年の秋ごろの話です。

まだ会社員だったのですが、職場で結構追い込まれていました。

上司とちょっと言い争いになってしまい、ムカムカして、割と「どん底」だった会社からの帰り道。

ふらっと入った本屋さんで、平積みされていた 森崎和江著「まっくら」を購入しました。

買おうと決めていたわけではなく、帯の言葉に吸い寄せられた…という感じで、手に取っていたのです。

そのビジュアルがこちら☟☟☟

持ち歩いていたら、かなりボロボロになってしまいました。



どうでしょう?

結構きませんか?

特に「負けられるか!」の部分…。


まさに、当時の私はそんな感情を抱いていたのです。

とはいっても、私はすでに退職届を出していたので、上司や会社にがっつり敵意をむき出しにしていたわけではないのですが…。

退職に伴う残務処理の中で、諸々よくわからない仕事の指示を受けたりして、メンタル追い込まれていた…という状況が近いかもしれません。

さて、こちらの本の内容ですが、明治~昭和初期にかけて炭鉱労働に従事した「女性坑夫」から、著者である森崎和江さんがヒヤリングをして、文字に起こした作品です。

実際ヒヤリングをした時期は、1958年~1960年初頭でした。

聞き取りの対象となったのは、みなすでに現役を引退した「元坑夫」の女性たちです。

10名ほどに聞き取りをし、それをほぼ語っている内容そのままに掲載しています。

方言が難解な部分もあり、若干想像に任せて読み進めなければなりませんでした。

もともと60年以上前に刊行された作品ですが、それをもとに2021年、岩波文庫から文庫として出版されたようです。


さて、正直なことを言うと、ハイ子はこの作品を読んで「下には下がいる」「自分はまだマシな方」と思いたい、ともすればよこしまな気持ちから、手に取りました。

仕事をしていると「どうして、私ばかり!!」という気持ちになることが多すぎて「やってらんねぇ」と自暴自棄になっていたのです。

すでに退職が決まっていたので、もう少し余裕を持って接すればよかったな…とは、今になって思うのですが、当時は相当追い込まれていたのか、視野が狭かったのでしょうね。

そこで、こちらの作品の中には、さぞ悲惨な話がたくさん書かれているんだろうな…と、それに比べたら、私の悩みなど鼻くそみたいなもんだよな…と、そんな読後感を抱けるかもしれないと、購入したのです。

お願い!昔の炭鉱労働に従事した女性たちよ!どうだい?悲惨だったかい?ハイ子を元気づけてくれよ…と。


しかし、なんというのでしょうか。

期待していたような効果はありませんでした。

それはなぜかというと、どの女鉱夫さんも、淡々と誇らしげに「労働」を語っているんですね。

むしろ、楽しそうに威勢よく働いているんですよ。

良くも悪くも、読者としては期待を裏切られた感じです。

ただ、どんな状況で仕事をしていたかといわれると、それはそれは「ガチで悲惨」でした。

例えば生理になっても、部位にボロ布を詰めて坑内に入り、あとは血を垂れ流し…とか。

月経は、不浄で縁起が悪いものなので、生理期間中は坑内に入ってはいけないという「暗黙の規則」があっても、生活のために働かなければならない。

炭坑内は、著書のタイトルにもなっているとおり「まっくら」なので、入ってしまえば、わからない。

内腿が血だらけになったとしても、炭鉱労働をしているうちに、泥で汚れるので、結局血なのか泥なのか、判別がつかなくなるので、仕事を終えて地上に上がってもバレやしなかった…と語る元女坑夫。

いや…それ…普通に考えて、悲惨を通り越して、壮絶です…。

それでも「稼げる」から、その道を選んだという女性も少なくなかったようです。

しかし、1928年には女性労働者保護の観点から、女性が炭鉱労働に従事すること自体が禁止され、肉体労働は「男性の仕事」となってしまいました。

その後は、主力エネルギーが石炭から石油にとってかわられたことで、日本各地にあった炭鉱は閉山を余儀なくされていくのです。

しかし、少なくとも昭和初期までは、炭鉱労働に従事していた女性がいたということです。

ちょっと逞し過ぎて、まぶしすぎて、なんだか逆に自分の不甲斐なさに「しょんぼり」してしまいました。

こういうのを読んで「私も頑張ろう」と思える女性って、現代社会でどのぐらいいるんでしょう。

現代人は、家事に時間をとられなくなり、余った時間のせいで、無駄に悩む必要のないことまで悩むのだ…という話を何かの本で目にしたことがあります(適当)。

確かにここに出てくる女抗夫さんたちは、炭鉱労働に加えて、子育てや家事等…文字通り馬車馬のように働き、人生に対する疑問や葛藤、生きがい…みたいなものをいちいち考えることもなく、目の前にある石炭を、掘って掘って掘りまくる…ことが人生そのものなんですよね、きっと。

職業選択の自由もなく、親が炭鉱労働者であれば、中学にもまともに通えずに、炭鉱労働に従事し、そのまま職場結婚し、その後もずっと炭鉱労働に従事する…という人生。

現代社会では、ちょっとかけ離れ過ぎた環境のため、比較のしようもなく、ただただ読んで、ああそういう女性が昔の日本にもいたんだな…という、薄っぺらい感想しか出てきませんでした。

これが、たとえば中学生ぐらいの「琴線」が繊細だった頃であれば、衝撃を受けたり、感動したりするのかもしれませんが、46歳になってしまうと、むしろ「この時代、そしてこの環境下に生まれなくてよかったな」と思ってしまいました。

だからといって、自分の置かれていた仕事の環境が「マシ」なものに思えるかというと、結局は「人は人、自分は自分」になっちゃうんですよね。

歳を重ねると、そういう感覚がどんどん強固なものになってしまった気がします。

良いのだか、悪いのだか…。

ただ一つ気になったのが、現代人だって忙殺されると、自分で自由になる時間が無くなりますよね。

でも、だからといって「悩む時間」が無くなるのか?というと、むしろ逆で「本当にこのままでいいのか?」とか、漠然とした不安がどんどん湧いて出てきて「うつ病」を発症したりします。

女坑夫の方々と、現代における社畜とどこが違うのでしょうか。

それは、この本を読めばわかるのですが、とにかく女抗夫さんたちは、逞しいのです。

管理職的な立場の人間を寄ってたかって袋叩きにした…というエピソードも出てきます。

TOSHIBAじゃないですけど「もの言う労働者」「もの言う個人事業主」という感じでしょうか…。

立場が比較的対等だったという点では、常に上から押さえつけらえて、思考停止状態になる「社畜」とはやはり違うのかもしれません。

この文庫本の帯に書かれている「まけられるか!」も、女坑夫さんが誰に対して発したセリフなのか、自分を見下すあらゆるものに、むけられたセリフなのかもしれません。

とにかく、強かった。

あっぱれです。

とはいえ、ここに出てくる10人の女性たちが、女坑夫のすべてだったわけではありません。

坑内は常に「死」と、となり合わせの空間でした。

こうして無事に生き残り、はつらつと「語る」ことができるのも、本当に一握りの人だったのかもしれません。

たまたま、この本に取り上げられた女性たちが、並々ならぬ強靭なメンタルの持ち主であっただけのことで、女性坑夫を一括りにして捉えるのは、安易かもしれません。

しかし、このように本になって、後世においても、その女坑夫さんの話に触れられるのは、とんでもなく貴重で有難いことなんだなと思った次第です。

女坑夫さんの存在は知っていましたが、ただただ存在だけを知っているのと、実際に語られた内容に触れるのとでは、全然違います。

自分が望んだ「よこしま」な効果は得られませんでしたが、それでもなんとなく、人ごとではあるけれど、経験値が少し増えたような、そんな感覚はあります。

読後感、あなたはどんな感覚を持つでしょうか…まさに「人は人、自分は自分」たどり着く感情はひとそれぞれです。

興味のあるかたは、ぜひ!

おしまい

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