47歳の独女が、迷走の日々を綴っています。

アラフィフ独女…広島原爆投下77年目の夏に思う「無力感」と「恐怖」

日々の雑考・できごと
この記事は約4分で読めます。
スポンサーリンク

どうも、ハイ子です。

今日は広島に原爆が投下されて、77年目の夏ですね。

ハイ子は毎年この季節になると、広島の平和式典に始まり、8月15日の終戦記念日まで、戦争関連の特番を見まくります。

77年経っても、こんなに戦争関連の番組が放送されている国も珍しいかもしれないです。

やはり「唯一の被爆国」という点が、他の国と異なるのかもしれません。

今年は例年になく「戦争」や「核」について、身近に感じることが多い気がします。

昨夜、NHKプラスで <NHKスペシャル 選「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」>を見ました。
(こちらの番組は、2020年の再放送で、NHKプラスでの配信期限は2022年8月12日午前2:25までです)

番組は、原爆投下に携わった米軍の「トーマス・ファレル准将」の原爆に関する手記をもとに構成されています。

広島への原爆投下の21日前、1945年7月16日、アメリカによる核実験(マンハッタン計画)の成功から、日本の無条件降伏に至る過程が描かれています。


ハイ子が一番心を揺さぶられたのは、広島に原爆が投下され、当時のアメリカ大統領トルーマンが、全世界に向けて公式発表をしても、日本の軍関係者は信じようとしなかった…ということです。

そんな無慈悲なことを、さすがにアメリカがするはずないと…。

信じない日本政府は、広島に調査隊を派遣するのですが、放射線量の値などから「残念ながら間違いなく原爆だった…」という報告を受け、やっと現実のものと認めたそうな…。

このくだりで、私はウクライナの事が頭をよぎりました。

ロシアが、ウクライナに侵攻するかもしれないと、今年の2月にニュースになった際、普通に一つの国家として存在し、なんの落ち度もない一般市民が住む場所に、いくらなんでもミサイルを撃ち込んだり、軍が進行したり…そんなひどいこと起きるわけない…と、思いませんでしたか?

ハイ子は、思いました。

原爆が投下された当時、すでに日本とアメリカは戦争状態にあったので、今回のウクライナ侵攻とは状況が異なるかもしれません。

もともと火種はあったのかもしれませんが、それを加味しても、一方的に「侵攻」したり「戦争」をしかけるなんて、いくらなんでもやらないでしょう…と。

それでも侵攻は始まりました。

一般の住宅にミサイルが撃ち込まれるニュースをみて「やっぱりね…」「予想通り」と思った人なんて、いないと思うのです。

「嘘でしょ?」

ハイ子は、ニュース映像として見ているのに、映画でも見ているような、非現実的な感覚にとらわれました。

でも、実際に起こっているのです。

そして起こってしまえば、いくら「あり得ない」「許しがたい」と思ったところで、事実として受け入れるしかないのです。

話を広島、長崎の原爆に戻しますが、核保有国がある以上、核のボタンを押すことは、戦争手段の選択肢の一つとして、間違いなく存在するということです。

そんな無慈悲なことがあるわけない…。

でも、ウクライナ戦争は、現実にあった。

戦争をしたって、良いことなんて一つもないのに。


ほんの一握りの、強い権力を持った人の意志で、世界はいかようにでも変えられるということを、まんまと見せつけられました。

その強い意志と同じくらいの決意をもって平和を維持していかなければ、また悲劇が繰り返されてしまうのでしょうか…。

そんなに四六時中平和を意識し、戦争反対を声高に訴え続けなければ、広島や長崎の悲劇は繰り返されてしまうのでしょうか…。

本当に無力感しかないです。

予期せぬ自然災害、個人レベルの事件や事故に巻き込まれれば、何もしなくたって「命の危機」はあるのに、どうしてそんなにドンパチやるんでしょうか…。

「命あっての物種(ものだね)」この一言に尽きます。

ちなみにこのNHKの番組は「ファレル准将」の手記にあった文章の引用で締めくくられています。

「原子爆弾をコントロールできなければ
そして国々が共に生きることを学べなければ
以下の言葉がいずれ現実のものとなるだろう

世界の大都市と、そこに住む人々は
徹底的な破壊と、突然の死に直面する」-番組引用

過去から学ぶとか、平和は大事とか…そんなことではなくて、理屈抜きにひたすら「怖い」です。

こんな恐ろしいことを、どうして「理想」や「大義名分」のためにやろうとする人がいるんだろうか。

考えていることが一周回って「小さいよね」って、思っちゃいます。

今回の広島の平和式典に「ロシア」と「ベラルーシ」は招待されなかったそうですが、賛否両論あるとは思いますが、ハイ子としてはこんな状況だからこそ「呼ぶべきだった」と思います。

「平和式典」なのに、このような形で分断を生むのは、もったいないです。

招待してロシアからボイコットされたとしても、日本の姿勢はあくまで対話、顔の見える外交をするべきだったのではないか…と感じます。

これでロシアにまた一つ、日本に対する強硬姿勢の材料を与えてしまったのではないでしょうか?

いや、もうそんなこと言っている次元じゃないくらい、こじれてしまったんだよってことならば、やっぱりシェルターの一つでも購入するぐらいの覚悟が必要なのかもしれません。

核シェルターの個人用は、200万ぐらいからあるみたいですね…。

おしまい

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 40代おひとりさまへ
にほんブログ村