47歳の独女が、迷走の日々を綴っています。

アラフィフおばさん 過去の海外旅行体験@中国はシャングリラ市でハイジになる 1997年

旅日記
Photo by ali elliott on Unsplash
この記事は約5分で読めます。
スポンサーリンク

こんにちは。
だんだんと1997年から1999年にかけての中国留学&旅行ネタがなくなってきました…。
と、言いたいところですが、まだまだあるのです。
ただ、この表題はかなりこじつけです。最初にいっておきます、すみません。

二つ前の記事<ハイコ、雲南の風になる>(→クリックするとブログに飛びます。)で、留学中の夏休みを利用した旅行の最終目的地を、麗江と書いていましたが、おまけみたいに行った場所がありました。
なんだかあまりにも記憶がなくてすっかり忘れていました。
というのも、ある事情でほとんど観光という観光をしていないのです。
その場所は「シャングリラ(香格里拉)市」、麗江のさらに北に位置し、「ソンツェリン寺」というチベット仏教のお寺なんかもあります。
ちなみに私が夏休みの旅行で行った1999年は、まだ「中甸」という名前でした。
どうやら2002年にシャングリラへ改名されたようです。
シャングリラ市と言われると、特別感がありますが、当時はチベットにいかずともチベット感が味わえるよってぐらいの軽いノリでいった気がします。
朝早く麗江を出発し、乗り合いバス(実態はおんぼろバン)に揺られること10時間弱ぐらいだったでしょうか。
車窓からの景色もそれまでとは違い、山羊っぽい動物が放牧されていたり、高い大きな木が見当たらなくなり、石ころがゴロゴロしているような悪路になり、ザ・高原地帯という感じに変わっていった気がします。
途中で崖の下に、無残に乗り捨てられた事故車を見てビビりながらもなんとか無事夕方には「シャングリラ市」に到着しました。
ついてしまえば、普通の中国の地方都市という感じで、街並みも別にこれと言って「シャングリラ」っぽいものはありません。
まだ改名前でしたし、それほど観光産業も盛んじゃなかったのかもしれません。
(てか、シャングリラってなんだ?)
もとい、変に商魂たくましくギラギラとした観光都市よりは、ハイコはそんな素朴なフツーの町が好きです。
適当に地球の歩き方を見て、手ごろなホテルにチェックインし、さあ!町を散策がてら夕ご飯食べようかね!と同行者A子に声を掛けると、なんだか様子がおかしい。

A子「…ちょっと疲れたかも。ご飯だけサクッと食べたらホテルで休もうかな。」

たしかに、朝からバスに揺られ、命の危険を感じるような悪路を延々と通り、緊張の連続だったので疲れたのは間違いない。
急ぐ旅ではないので、そうだね、さっさと夕飯食べて今日は早く寝よう。


ちなみに完全に中国LOVEなハイコとA子は、旅も終盤になると和食ではなく、餃子がめちゃくちゃ恋しくなっていました。南は小麦の文化じゃなく米食なので、われらのソウルフードともいうべき餃子を久しく食べていなかったのです。
奇跡的に店先に「北京餃子」の張り紙を見つけ、すがるようにその店に入り、期待を込めて餃子を注文。出てきたのがどう考えても「ピロシキ」で、ちょっと奥の厨房の人!餃子っていうのはね!…と一言言いたくなる気持ちをぐっとこらえて、こんな何千キロも北京から離れた場所で北京餃子の正解を知ってるほうが奇跡だねなどと、おとなしく完食し、小一時間でホテルに戻りました。

餃子愛が満たされず、不完全燃焼ではあるものの、体はとっても疲れていたので、その日は早々に眠りにつきました。

翌朝、さて今日こそ散策しましょうか!どこいこうかねぇとA子の様子をうかがうと、未だ浮かない表情。


ピ、ピロシキ…?のせい?

そんなしょうもないハイコの想像をよそにA子は、
「ごめん。熱っぽいかも、そして頭が痛くてだるい。」とのこと。

これはまずい。よりによって、一番不便なこんなどんずまりの奥地で、具合が悪くなるとは。
とりあえず、これ以上悪化しないように、安静にしていただくしかない。
ちょっとこの町の病院で診てもらうのは諸々勇気がいる、せめて省都の昆明の病院なら心配はないのだけど…。

A子「大丈夫、多分寝ていれば治るから。」

そういわれると、もう見守るしかない。
体調が戻ったら、はやいとこ昆明に移動したほうがいいだろうけど。

そんなわけでシャングリラ滞在の2日目から3日目は、まんじりともしない時間が流れた。
ハイコは一人町をふらつき、でもやっぱりつまらない。
ホテルに帰れば、具合の悪いA子が寝ていて、やっぱり本調子じゃないので不機嫌だ。
それは仕方がない。
ハイコは耐えた。
一人は慣れている。
でもずっと外をふらついているわけにはいかない。
しかし部屋にいるとなんだかんだと気を遣う。
そしてハイコが気を遣うとそれも負担になるようで、A子はさらに不機嫌になる。

マイガー!!負のループ!!

中国のこんな奥地で負の無限地獄に落ちたブラックハイコは、なんかよくわからないけど、ホテルに備え付けられた便箋に延々と愚痴を書きなぐり誰にだすともなく人知れずストレスを解消していました。


その後A子は持っていた頭痛薬を服用しながらも、4日目に無理を押してハイコと一緒に「ソンツェリン寺」を見学し、チベット仏教の僧侶にナンパされ、しょっぱいバター茶をごちそうになりました。
そして翌5日目に我々は晴れて麗江へ移動しました。
麗江から昆明へは飛行機でひとっ飛び。山岳地帯なので、あれだけ何時間もかかった道のりも、飛行機ならものの60分。途中落ちるんじゃないかというぐらい揺れて、隣のおばさんが笑顔からのすごい豹変でえずいて吐いたのにうっかりつられそうになりながらもなんとか持ちこたえ、無事昆明の地に降り立つことができたのです。

A子はだいぶ具合が良くなっていたものの、念のためお医者さんに診てもらったほうがいいので、日本語の通じる病院を予約し、いってきました。結局体調不良の原因はわからなかったのですが、軽い風邪でしょうということで、風邪薬を処方されました。

とにかく、なんともなく、こうして、無事ハイコとA子は旅を終えることができたのでした。

それから日本に帰国後何年かして、すでに何もかもが良い思い出になったころ、テレビでこのシャングリラ市が取り上げられたのです。
ああ、ここいったな~なんて何気なく見ていると、標高が3000メートル越えだというではありませんか!
え?結構高いのね。
ネットで調べると、高山病に注意とか出てくるぞ。

なあんだ、ハイコも当のA子も気が付かなかったけどあれは高山病だったんだ!

すると…そうか、
ハイコは高地に強いのか。
地でハイジをいけるな、こりゃ。

ただ、高所恐怖症なので、アルプスはごめんだ。

これからブラックハイコに変身するとも知らず、のんきにワンピースを着こなすハイコ。うしろの白いバンに乗り込みます。

おしまい