47歳の独女が、迷走の日々を綴っています。

頑張らないということ

過去の社畜時代
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どうもハイ子です。

現在45歳です。

会社員です。

が、実は会社を休職しておりました。

メンタルやらフィジカルの問題ではなく、単純にコロナの影響で仕事がなくなり、会社から休職を言い渡されました。

4か月ほどのんびりとしていました。

この状況では派手にお出かけもできず、正直なところ休職手当も数万というバイト並みの賃金だったので、先立つものもありませんでしたし…。

幸い実家暮らしなので、家賃という固定費はないものの、生活費として家にお金をいれるとほぼ何も残らず、貯蓄はできない状況でした。

時間だけは有り余っていたので、いつもならスルーしてしまう区の無料健康診断も率先して受診し、またブログを書こうとワードプレスの勉強をしたり、最悪復職できなければ就職先を新たに見つけなければならないので、ハローワークに足を運びミドルエイジの就職セミナーなんかにも参加しました。

気分転換もかねて、たまに歩ける範囲でお散歩がてら桜やあじさいを愛でにいったりと、まあまあ充実していました。

気が付けば4か月あっという間でした。

コロナで職を失い、住む場所も失い、路上生活へ…というこのご時世を象徴するかのようなニュースを目にするたびに、まだ自分は恵まれているなと、まさに年金暮らしの母と同じような生活を送らせていただきました。

お金は無いけど、セミリタイヤした気分にすらなっていました。

しかしそんな生活は長くは続かず、突然今週から復職を言い渡されました。

まだ業界的に完全に需要は戻っておらず、長引く不景気を案じた他社員の退職に伴う<ところてん方式>の復職でした。

実は全社員が休職していたわけではなく、休むよう言い渡されたのは一部、なかでも年次が上のスタッフが多数を占めていました。

実際ハイコは休職中に「退職勧奨」も受けました。

お断りしましたけど。

そのため初めから肩たたきを視野にいれた休職だったのではと自分は思っています。

ラッキーといっていいのかどうかわかりませんが、ハイ子が経験していた職種で欠員が出てしまったので、奇跡的にハイ子だけ復職となりました。

そんないきさつもあり、正直とっても複雑です。

もろ手を挙げてうれしいという気分にはなれません。

平たく言えば、辞めてくださいと言われた人の下で再び働くわけです。

こころの底からありがたいとは思えない気持ちでいます。

しかし、仕事内容は好きだし、同僚たちも信頼できるメンバーです。

今回の復帰を後押ししてくれたのも、同僚だと聞いています。

現場での仕事ぶりを同僚たちが評価し、上を説得してくれたのです。

そこは本当にありがたいと思います。

しかし…です。

私はすぐにそういうことを慮って、頑張ってしまう部分があるのです。

同僚たちの期待に応えるためにも、人一倍頑張らないとと思ってしまうのです。

でも、たまたま年齢という理由で休職を言い渡され、欠員補充で復帰となったと考えれば、
なにも負い目を感じることは無いのです。

復帰したこの一週間は負のループというか、自分を追い込むようなことばかりやってしまいました。

あれもこれもやります、とりあえず「やる」という返事をしなければ干される、という強迫観念すらあったかもしれません。


休職中に「このまま退職になり、転職活動本格的にやらなきゃならなくなるかもな。そのためにもまた資格の勉強始めようかな…。」なんて考えていたころのほうが心にゆとりがあったかもしれません。

ということで、改めて「頑張らない」を意識する必要があるようです。

ハイ子にはかつて、鬱っぽい症状が出た時期がありました。

家からものの40分程度で着く距離の会社に、始業の2時間前には家を出ていないとイライラするのです。

少しでも遅れようものなら、泣きそうなほど不安になりました。

また決められた時間の電車とその車両に乗れないと、動悸が激しくなり計画通りに動けない自分を責めました。

「始業前の仕事の準備は必要だ、少なくとも15分前には来い。」という当時の上司の指示が発端でした。

それが気が付けば一時間前になっていたのです。

言われたからじゃありません、ハイ子の勝手な忖度です。

忙しい、大変だというのが上司の口癖で、とにかく先回りして仕事をこなさないと不機嫌になる。

まさに忖度の強要を絵にかいたような上司でした。

始業一時間前でも、必ずその上司は先に出社していました。

そして上司と自分しかいない空間で、その上司の愚痴や他の社員の悪口ともとれる評価をきかされていました。

おそらく自分が遅く出社すれば、上司は私より早くきた社員に私の愚痴を言うに違いないという強迫観念もありました。

その上司からはキャパオーバーな仕事を振られ、それでも平気な振りをしていると、さらに振られ、まったく管轄外の仕事も「ハイ子くんに任せておけば安心だから。」という呪いのような言葉を、信頼されていると勘違いし、こなす日々。

しんどくなると、その元凶である上司が景気づけにと飲みに誘ってくるのですが、行けば私の労をねぎらうどころか、自分の愚痴を吐き出し、ハイ子が「大変ですね。」と慰めるのが定番パターン。

気が付けばハイ子、自分で考えることを放棄していました。

そしてだんだんとどうでもいいことで怒ったり、泣いたりするようになってしまいました。

自分の場合はとにかく母親に当たっていたとおもいます。

大の大人が何やってるんだ?という感じですよね。

でも、ある時気が付くのです。

ホームで電車を待っているときに、しんどいなぁ、ここで貧血で倒れてうっかりホームに落っこちて、電車にはねられても、それでもいいかな…と思ってしまったのです。

でも、親が悲しむよねえ…さすがにそれは親不孝だな。

そして、あれ?自分は何のために働いているのか?と。


自分は結婚もしていなければ、子供もいません。

となると一番大切にすべきは家族、親じゃないのか?

それなのに、働くことでそれができなくなるなんて、本末転倒じゃないか!と…。

世の中いろんな親がいますが、ハイ子の母はこんなどうしようもない娘の身を案じて、

「仕事はほどほどにね。」とか、「休みはしっかりとらないと。」などと、頻繁に声を掛けてくれていました。

その度に、
「何も知らないくせに、口出しだけしないでよ。いろいろ大変なんだよ。」
と心の中で毒づいていました。

これは、まずい。
死んでも死にきれない。

そこでハイ子は決断し、行動に移しました。

仕事は好きだったので手を抜こうとか、ましてや辞めようとは思いませんでした。

ハイ子がやったのは、干されるのを覚悟で、上司と距離を置きました。

明らかに、他営業所の案件ならば、そこのスタッフにやってもらうようお願いし、自分ができる範囲の仕事に専念することにしました。

そして、仕事帰りに飲みに誘われても、二人で行くことを辞めました。

朝も二人きりにならないよう、少し遅くに到着するように時間を調整しました。

それでも仕事に支障をきたさないよう、業務上必要な会話はしていたと思います。

が、周りの目を気にする上司は、ハイ子から距離を置かれていることを、他の社員に気づかれないよう、いつしかハイ子を無視するようになりました。

そしていつしか、評価が下がりました。

そしてあるとき、異動を言い渡されました。

腐りそうになりましたが、案外異動先のお仕事は楽しく、そしてその上司との関わりがなくなったことが清々しかったのです。



上司は糞でしたし、今もそう思っています。

このコロナが原因で、降格からの退職になり、もう会うことは無いと思いますが。

でも、そうなった原因は自分にも少なからずあったと思っています。

イエスマンになりすぎたのです。

そして近くなりすぎたので、距離を置いたら過剰に反応され干された。

そこまでしなくても、その上司とちゃんと距離を保って仕事をしている人はたくさんいます。

私がその辺の見極めを誤ったということも要因だと思っています。

勝手に忖度し、メンタルがやばくなるまで頑張って、自爆しそうになったので、一気に退避という感じです。

大人げないけれど、当時のハイ子はそうするしかなかった。

結局は頑張りどころを間違えていたのかもです。

自分を追い込んで働くと、本当に自分にとって大事なものや、大事な人が見えなくなる。

仕事以外のことを考えることが、ムダなことだと錯覚してしまうのす。

ある一定時期はそれでもいいかもしれないです。

しかし、自分はもう45歳。

この業界の景気状況を見れば、昇格できないことは火をみるより明らかです。

いったんはお払い箱に片足を突っ込んだ身です。

なので、頑張らないでぼちぼちいこうと思います。


襟を正して、頑張らない。

復帰から一週間経過して、改めて思った次第です。

おしまい